16 November 2008

丸い緑に、巡るハロウィンのカタチ

 
 もう2週間も経つけれど、ハロウィンについて。

 日本(というよりも東京、大阪などの都市圏)でも、大分イベント化してきている。昔アメリカで学生の時に友達の家で仮装パーティーに行ったりはしたけど、最後にハロウィンらしいことに紛れたのは二年前。ハロウィン仮装して山手線に乗り込むという非公式?イベントを耳にしたので、行ってみた。
 その時の様子をYoutube(http://jp.youtube.com/watch?v=RP_j6zFp1Yk)に載せていたら、ぼちらぼちらコメントがきていたので見ると、そのイベントに対して厳しい意見が多い。それもそのはず、参加者(外国人が多いが日本人も)の中には、ビールや酒を持ち込んで、酔っぱらって騒いで、酷い奴は網棚の上に乗っていた。コメントの中には単純に全てのガイジンをバカ呼ばわりしているものもあったけど、確かに目に余るものはあった。昨年は車内の蛍光灯が割られることもあったそうで、反発は当然だと思う。

 山手線でのハロウィン乗り込みイベントは今年もあったようで、変わらずひと騒ぎだったようだ。個人的には、車内、駅の設備等を破損したり、ゴミを放置したりしないなど最低限のマナー(といっても突然居合わせた乗客には、その騒ぎだけで迷惑千万だろうが)を守れば、こういうイベントはあってもよいと思うのだが、交通機関でここまでの規模(参加者)になると、マナー統制は無理そうだ。現にパンツ一丁の男までいて、さすがに呆れた。
 今年のイベントを記録した人の動画には大量にコメントがあって、流し読みしたけど、批判的なものが多いことには変わらない。ただそれは、見た人の多くが必ずしも批判的であるとは言い切れないし、特に不快に感じた人、更に過激なコメントはきっと特定の人が書き込んでいるのだろう。
 それはそれで。それら映像の共有により日本語だけでなく英語でのコメントや意見交換が飛び交う。アクセスの数も多いものは尋常でなく、数字を見ると改めてインターネットの可能性を認識した。

 そもそもハロウィンは、ケルト人が死者の霊を祭ることに由来するらしい。概して閉鎖的な日本社会。都市生活の表面的な自由を裏返すと個人の内面的な孤独。都市社会の無機質な機能に組み込まれて生息せざるを得ない現代人にとって、自己は無意識な抑圧、抑制の対象。そんな仮死しかけの自己の一部は仮装することで蘇り、ハロウィン電車で復活の祝詞を上げる。丸い緑の山手線を一周することによって自己を祭る儀式は、特に異文化に生きる外国人にとっては、日本の都市社会の歯車と日常の閉塞的な空気感に暮らす上で、年に一度の必然の鎮魂なのかもしれない。
 時間と距離を置いたら、そうも見えるハロウィン電車。ご無沙汰ということは…私のそんな一部はいつの間にか成仏した?


2006年のハロウィン電車:

3 comments:

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